2019-11-27 第200回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
首里城は、守礼の邦と諸国からたたえられ、万国津梁の鐘の銘文のとおり、世界をつなぐ平和のかけ橋であった琉球王国の歴史と文化を伝える沖縄の宝であり、我が国の貴重な財産であります。その宝を一夜にして失った沖縄県民の皆様方の御心痛は、いかばかりかと思います。沖縄県民の心に寄り添い、御意向をよく伺い、国を挙げて全力で取り組んでいくべきであると考えます。
首里城は、守礼の邦と諸国からたたえられ、万国津梁の鐘の銘文のとおり、世界をつなぐ平和のかけ橋であった琉球王国の歴史と文化を伝える沖縄の宝であり、我が国の貴重な財産であります。その宝を一夜にして失った沖縄県民の皆様方の御心痛は、いかばかりかと思います。沖縄県民の心に寄り添い、御意向をよく伺い、国を挙げて全力で取り組んでいくべきであると考えます。
そして二千円札でありますが、現在発行されているお札の中で、唯一、肖像ではなくて首里城の守礼門が印刷されている二千円札につきましても、観光客の方々等に沖縄の歴史や文化に関心を持っていただくきっかけになるものというふうに考えておりまして、このPRもしていかなければいけないというふうに考えております。
例えば、沖縄が発祥の地で、競技種目にもなり、世界じゅうに五千万人いると言われております空手、沖縄の文化の中心でもあり、大臣も一生懸命に推進しております泡盛、そして青い海と緑のウージ畑、その魅力の一つに、守礼の門が描かれている二千円札の普及もぜひとも加えていただきたいと思いますけれども、大臣の御所見をよろしくお願いします。
何か、聞いたところでは、沖縄では、二千円札、結構流通されていて、ATMとかでも普通に出てくるという話なので、なるほど、沖縄の方にとっては、表、守礼門等を含めて、非常に関心のある紙幣なんだと思いますけれども。
観光も産業も振興が目覚ましく、振興計画のみならず、例えば一九九七年に那覇空港を発着する空港の着陸料、施設料、燃料税、大幅に減免され、あるいは美ら海水族館の新館、首里城公園世界遺産登録、あるいは二千円札の裏に守礼の門、沖縄を支えてくれる日本国のサポートが本当に感じられるようで、一九九七年から十五年間で観光客は倍増しております。
やはり、グローバルな沖縄の立ち位置を大いに役立てて、国外から多くのお客様をお招きできる、おもてなしできる守礼の邦、沖縄の観光産業に結びつけていただきたいと思います。 確かに、シンガポールなどアジアにおいてもMICEの誘致競争が非常に厳しい状況で、競合地との差別化を図り、通訳などのたくさんの人材育成も行っていかなくてはならないと思います。
そして同時に、途中、守礼の門のあたりで二時間ちょっと、三時間ぐらいですかね、渋滞に巻き込まれて、その渋滞は何だったかというと、いわゆる不発弾処理。あのとき私は中学生の子供ながらに、何十年たってもいまだに戦争の爪跡というのは深く沖縄に残っているんだなということを思いました。
○赤嶺委員 そういう米軍の圧制下のもとに、米軍は、当時の小学生、中学生に、米軍の統治、民政がいかに県民に役立つものであるか、こういう「守礼の光」という雑誌を出しておりますが、この中には、極東の平和と安全保障を考えるのであれば、沖縄県民は日本に復帰することなど考えてはいけない、このように書いてあるんですよ。こういう雑誌が、祖国に返ることさえ、安全保障の名前で我々は抑えつけられてきたんです。
この紙幣には、沖縄県首里城の守礼門が図柄に採用されておりますし、沖縄の振興と平和の発信、シンボルとして役立つものと期待していたわけでありますが、普及、利用が伸び悩んでおります。これは、あくまでも記念紙幣ではなく一般札ですから、広く流通させなければならないわけであります。沖縄におきましては、二千円札流通促進委員会を中心に、二千円札の普及促進に活動したところでございます。
沖縄の基地負担の軽減と言うならば、この基地を撤去し、守礼の国沖縄にふさわしい平和の門に切り替え、地政学的転換を図ることです。そして、沖縄を金網から解き放ち、諸悪の根源である国境主義から独立させ、世界に人類のひな形としてプレゼントすることを願います。 これで、私の本法案に対する反対討論を終わります。ありがとう。(拍手)
第二次世界大戦前に国宝保存法で指定されてございました沖縄の文化財につきましては、まず建造物については、首里城守礼門あるいは沖縄神社拝殿など十一件でございます。また、美術工芸品につきましては銅鐘の一件がございました。
この紙幣は、沖縄県首里城の守礼の門が図柄に採用されておりまして、沖縄の振興と平和の発信、シンボルとして役立つものと期待していたわけでございますが、ことし一月現在、二千円札の発行高は二・四億枚、紙幣全体の構成比で二・三%と、普及、利用が伸び悩んでおります。 これは、あくまでも記念紙幣ではなく一般紙幣ですから、広く流通させなければならないと思うわけです。
今まで二というのがついた紙幣というのは日本にはなかったんですけれども、アメリカでも二十ドル紙幣があり、諸外国では使われているわけですので、十分これは日本でも機能するはずだというような当時の議論があって、そして、委員のおっしゃるように、守礼の門、裏は源氏物語で京都に関係があるわけでございますが、出した。
変だなと思って、何だと言ったら、これは守礼門なんです、沖縄の守礼門。つまり、沖縄の軍が行っているんですよ。全部が沖縄じゃなくて、ほかはあるかというと、余計な話になりますが、守礼門のマークをつけたら、これがはやりまして、お守りになるというので、みんなはやっている。まあ余計な話になりますが、守礼門のマークをつけたのがイラクへ行っているんだ。これは日本と関係ないわけがないんですね。
これからやはり二十一世紀になって、戦争が起こらないようにということが非常に大事でありますし、またもう一つは、守礼の国、守礼の地域と、礼儀を守っていく、やはり人権を守っていくということも非常に大事なことになると思います。
のころに、このお札はなぜつくったのかという意味合い、一応いろいろとあると思うんですけれども、二〇〇〇年というミレニアムの記念の年に沖縄でサミットが開かれた、我が国には二の倍数の紙幣とか貨幣がないということも含めて、外国では非常に利用価値がある単位だということがあって、国民の利便性も高めたい、いろいろな多目的の中でこれができ上がってきておると思いますけれども、私はこのお札を見るたびに、この表に沖縄の守礼
二千円札の問題も、守礼の門の図柄があるわけでございまして、私としてもできるだけ大切にしていきたい。残念ながら、なかなか私の手元に現物が参らないという実態もございますが、大切にしてまいりたいと思う次第でございます。 大変にお励ましのお言葉をいただきましたことに心から感謝を申し上げます。
当然御存じだと思いますけれども、この二千円札の表に守礼の門の図柄が入っているわけです。
いろいろな施策の中でも、今ほどの二千円札のように、せっかく二千円札の図柄に沖縄の守礼の門が、当時はある程度沖縄のそういうことを期待しての図柄だと思いますけれども、そういうものをもっともっと流通させていただくような施策なり、またそういうものを見れば沖縄へ行ってみたいという気持ちにも当然なるわけですし、沖縄へ行けばそういう話題にもなるわけでございます。
そのときまでに、先生おっしゃるような、沖縄の県民の皆さんに喜んでいただけるものを、政府として責任を持って考えていかなきゃいけないと考えておりますが、今この時点で具体的にこういうことということを申し上げることができないのが非常に残念でありますが、ただ、七月に沖縄の守礼門をあれした二千円札を出しますよというようなことでは済まない問題だ、そういうふうに心得ておりますので、頑張っていこうと思っております。
このほか、今年から発行される二千円札の図柄に選定された首里城公園内の守礼門を視察したほか、名護市においてサミット開催会場に予定されております万国津梁館及びプレスセンターの建設状況を視察しました。 以上、概略を申し述べましたが、今回の派遣におきまして調査に御協力いただきました関係行政機関、団体及び事業所の方々に対しこの席をかりまして厚く御礼を申し上げ、派遣報告を終わります。
恐らく、ミレニアムだ、二〇〇〇年だ、二千円札だ、何か記念切手とよく似ておもしろいだろうという発想だったんじゃないかと私は思うんですが、それもおかしいと思うんですが、ただそこで、守礼の門を選ばれた経緯について聞きました。
既に、この委員会の中でも、そのことについて政府はどういうふうに担保するのかという話が出されているわけでございますけれども、新しい二千円札に守礼の門が描かれる。
○照屋寛徳君 首里城を採用するならまだわかるけれども、守礼の門はどうも納得できない。 大蔵大臣、御相談を受けて、どういうふうな考えをお持ちになりましたか。
そこで、お尋ねとして、図柄として沖縄の代表的な建築物である守礼門を用いることにいたしたわけでございまして、二〇〇〇年にはこの守礼門でどうかということにつきましては、私、大蔵大臣と御相談の上に決定をさせていただいたわけでございます。 この守礼門は、言うまでもなく、沖縄を象徴するものとして国民の頭の中に最も自然に浮かんでくるのではないかと。
それともう一点は、デザイン決定について私はちょっと疑義がございまして、なぜ紫式部、そして沖縄の守礼門がデザインとして選ばれたかという、そのデザイン決定の経緯といいますか、そこら辺をちょっと、大変瑣末なことを大臣に恐縮でございますが、お答えをいただければと思います。
○古賀(一)委員 私は、今の大臣の御答弁でおわかりいただけたかと思うのですが、いわゆるこの守礼門というのは、室町時代、明の冊封使というお使いが、国王がかわるために赴きまして、そのときに琉球国の国王が城外に出てその守礼門というところでひざまずいて、明に、おまえを国王として認めるよという儀式をやる場所であったのですね。だから、それはそれで、今文化財として評価できる云々の話がありました。
その趣旨とされたところは、沖縄でミレニアムの年にサミットが開かれる、それを記念したらどうだろうか、そしてそのときに、総理としては、それと一緒に守礼門のデザインを入れたらどうだろうかということをお考えでありました。 それで、紙幣発行者の側から申しますと、日本銀行の銀行券が発行されました最も最近の例は、一万円札でございますが、それは昭和三十三年でございますので、随分昔でございます。